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虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~

虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??

   
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先週いろんなことがあって、理不尽な怒りを出して見たら以外にすっきりした経験をした。

そして、父なる神様は私を性の対象にはしないと言う事にも気がついた。・・・というか、性の対象になるのか怖いと思っていた小さな私が、「神様怖い」とも思っていたし、「神様のところに行きたいの」とも思っていた。

そして大人の私はちゃんと神様につながりたいと、ちゃんと、ちゃんとと思っていることにも気がついた。


実父の死が近いらしいと昨年あたりからの事で「あなたの辛い目にあったのね、だからといって私にした事は当たり前じゃないよ、けれど、そうしなければならないくらいのじょうきょうだったんだよね。パパも辛かったんだね、辛かったって言ってもいいんだよ。」と赦してやろうか?と思っている私(たぶんおとなの人)がいた。


赦さなくてもいいって事を知った時にとても解放された。

土曜日に里親研修会があって、まるで私と妹のような関係の体験をした里親さんの話を聞いた。

その家庭にも神様が関わっていて、それは「神様の愛」で結果オーライになったんだろうなと思った。


私はその里子さんの代わりに「ありがとう」を言いたくなったので伝えた。


たった一人でいい、あなたの事が大切だよって言ってくれる大人に出会って欲しい。
これはCAPや森田ゆりさんに教わったことだけれど、以外にもそれを知っている大人は少ない。


その研修会でもぼんやり、父を赦してやって、残り少ない人生を楽しく過ごしてもらったほうがいいんだろうな。私から解放してやろうかな?と考えていた。

夏頃からそれはぼんやり思っていて、でも赦さないって思っている私も中にいて、無理に行動するのはやめないと自分が痛いってなるんだろうなと想像していた。

妹経由で財産がどうこうとかkasumiにはやらないと思うけれども、遺留分でわたってしまうとか父もいつまでも「kasumi」にこだわっていると妹がいう。

夏に妹に会ったときに「お父さんはお姉ちゃんにしてあげたい事をあー(妹)にしているだけで、本当にあーにしたいって思っているかはわからないよ、きっとあーはお姉ちゃんの代わりなんだ」と気持ちを教えてくれた。

その時、「私も娘としてあつかわれないことで苦しいし、妹は代理なんだと思うようなことになっていてどちらも苦しい。その事に父は気がついていないんだな」と思った。


私はお金とか家とか欲しいわけじゃなく、私に関わらないで欲しいと思っている。

娘には将来大学に行くときにお金を残してやりたいという父の希望があるみたいだけれど、
父の自己満足のために娘を産んだわけでもない。

そんな気持ちを持ちながら、「父を赦そうと思う」宣言を聞いてもらいたい里親で教会の人に夕礼拝のあとにお話したい事があるからとメールをして時間を作ってもらっていた。


友達と一緒にご飯を食べ、その里親さんのところに行く理由などを話し、教会に行った。

いつも賛美のあとに説教がある。

賛美を聞いていると涙が出てくるのはいつもなんだけれど、なんていううただったか忘れたけれど、「子どもが空を見上げて・・」「けがれた私を清めてください」・・・ってフレーズが出てきたら、やっぱり神様は汚らしい(自分が思っているだけなんだけれど)私の事は嫌いなんだ、神様の愛なんてわからない、私はけがれているんだ・・・と体から心が飛び出て来そうな位揺れてボロボロ涙が出た。


私たちの行動はすべて神様の計画のもとでというけれど、なんでこんなにいっぱいいろんな事を抱えないといけないのか?わかんない。
私はずっと神様のそばにいたのにたくさんのひとのことばっかり見てて私の事は気がついてくれてない!!

そんな気持ちがわいてきて、涙が止まらなくなって、礼拝をしている部屋から出て、廊下で泣いた。

小さい子どもが部屋の隅っこで膝を抱えてしゃっくりをあげながら泣いた。


全身が痙攣して過呼吸になるくらい息が出来なくて、それでも涙が止まらない。


廊下も少し寒くて台所のいすを借りてひとりで泣いていた。

賛美は聞こえる。
スピーカーをつなげているので、中にいるよりも大きく。

聞きたい神様の声。聞きたい。
でも神様なんて大嫌い。いつだって助けてなんてくれなかった。

神様のバカ!!

そんな気持ちだったかな。

しばらくすると宣教師夫人が来て、背中をさすってくれた。
日本に来て間もないので日本語が伝わらない。

きっと伝えたい気持ちは沢山あったのだろうけれど、それは今までも聴いたありきたりの「神様はすべてわかっている」とか言われてそのうち「神様を信じろ、信じるといえ」って言葉になった。

きっと「神様を信じますと自分の言葉でいうと救われるよ」と言うことだったんだと思うけれど、父親の私をコントロールしようとする時の口調と似ていたので、「嫌だ」「そんなの嫌だ」
「神様は好きだけれど父なる神は嫌い」と小さい子が叫んだ。

気がつくと、もうひとり背中をさすってくれていた人がいた。
この人はジョシーさんのこともようさんのことも知っている人だった。

声も出さずに気持ちを抑えようと必死になっている私に、「気持ちが出てきたんだから、このまま外に出そうね、何でもいいから言葉にしてみたらいいよ、神様の事嫌いとか、今思っている気持ちを出したほうがいいよ。」と言いながら背中をトントンしていた。

「え?気持ちってなに?今私の気持ちなんてどこにあるの?」と思った。

しばらく言葉に出来なかった。
「なんでもいいんだよ、言葉を整理する必要もないよ。今思っている事、自分がどうしたいって思っている事、なんでもいいよ」と。

私はなにを思っているんだろう?と考えた。


・私は父なる神様って言われると混乱する。
・穢れたものって聞くと私の事?って思う。
・愛なんてわからない。
・kasumi姉妹って言われるのは嫌
・すべて計画のもとで言うんだったらなんでわざわざ苦しい時にさらに苦しくなるようにするのかわからない。
・神様に八つ当たりしたいって思うけれど、その方法がわからない。
・祈りなんて嫌い。
・人の本音がわからない。

・・・・なんて事を言ったように思う。


夫人は神様の愛はあるのよ、愛されているのよと伝えてくれるけれど、その言葉にはからだが硬くなって拒絶反応を起こす。
また過呼吸発作のようになり、頭がボ~~~っとする。

Hさんが「愛されているって実感できる?」と聞いてくれたので首を振る。

それだったら「愛されているって言われてもわからないよね」。

私は何度も何度も神様のそばに来るし、働きの上でも神様の言葉を手話で伝えてきた。
レーナ・マリアさんのコンサートだってとっても頑張った。

けど、私はきっと、また神様のところを離れたくなる。
そんな自分が嫌だ。

私はちゃんと神様のところにいたいと思っているのに、自分から離れていく。
それが嫌だって思う。


そのHさんは、神様はいつもそばにいるのにそっぽを向いているんでしょう?(笑)
神様と見つめあったことある?と聞くので、視線は感じるけれど、見つめあうことない。

ちら・・と見るくらいかな。

そうね、じゃこれからどうするか?だね。

今までと同じように神様を信じる自分を認めないで生きていくのか、信じる自分を認めていくのか道は2つに一つ。

信じて、見捨てられるのは嫌だ。(そんな事はないって知っているでしょう?)・・・たしかに。

この会話の中で、自分の気持ちを祈った事ある?と聞かれては??とう状態になり・・・。


祈りって型どおりの祈りしか聴いた事ながない・・・って言うのが判明。


今日は○○を食べたい・・・っていう祈りもあるそうで、ちょっと面食らいました。


最後に祈り祈ってもらいました。

神様、私は父なる神様が嫌いです。
父と言う言葉がとても嫌です。

私はちゃんとぶどうの樹の実になりたいと思っているのにできません。

神様が怖いです。
愛を受けとりなさいといっても、 ちゃんとできません。

私にも私の知っている全ての人に神様の愛を届けてください。

助けてください、とても苦しいです。
イエスサマの御名によって祈ります。アーメン



そしたらHさんが・・・

神様
kasumiさんは神様につながりたいと思いながらつながれないと苦しんでいます。

いまの短い祈りの中にも、「ちゃんと」と言う言葉が沢山出てきました。

kasumiさんは、「ちゃんと」していないと自分の価値がないと思いこんでいます。
けれども、神様はちゃんとしていてもしていなくても神様の子どもをしてkasumiちゃんを愛してくださっています。

(ゲ・・・・。そうかそんなにちゃんと・・・って使っているんだ・・・)
こうして自分の心が爆発しそうな時でもkasumiさんは回りにきをつかって迷惑になっていないか?困っていないか?と考えてしまいます。

(ゲ・・・そうかそう見えるんだ)
いつでも人の事を優先しいろんな人を助けています。
けれどもセルフケアが出来る力がとても弱いです。
出来ない自分を責めています。

どうかkasumiちゃんに、神様の愛が届きますように。

・・・・・・アーメン


あとはあまり覚えていないけれども、

今神様を信じることが出来なくてもいいのだ、その時がきたらわかるのよ・・・みたいな祈りだった。

人は失敗するのが当たり前だし、完全な存在ではないからちゃんとできる人なんていないの。

自分のためにしたい事を選んで祈ったらいいと言われた。でも一つ選ぶって出来ない・・っていうとじゃ全部祈ったらいいじゃない。欲張りでもいいのよ。

ふうん・・・・。

人はいろんな人がいるから。


心の快復作業の話になって、「ジョシーと出会えたらいいのにね」
「けど、私男性では駄目だと思うんですよね」というと、「基本同性のセラピストがいいし、信仰のベースがあったほうがいいと思うけど」的な会話で・・・・。


けど、気持ちを出す時は痛みが伴うから、苦しいけれど出してしまったほうがいいと思うよってことになった。

私としては「え??まだ出てくるんですかね??痛いの嫌だな」っていうと「こんなに苦しいのにこれ以上の事は与えないわよ」と笑う。

「だったらいいけど、今まで以上の苦しみは勘弁して欲しいぁ・・・・」というと、「祈りなさい、痛くしないでねって」(笑)



神様お願いがあります。

ジョシーさんの快復のキャンプ北海道でひらいてちょ。

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