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虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~

虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??

   
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  • 2011/03/10 (Thu)
  • 理解してて欲しいと思う人なのに、伝わらない(笑)

 私が一つ、一つの言葉にこだわるのには、きっと、子どもの頃の影響があるのだと思う。

言葉での虐待も多くあった訳だし、「おまえはきちがいになる」「きちがいだ」とかいっぱい言われて育った。


現に精神科に通院して、薬を飲まないと眠れない現状があるのだから、自立支援のカードをもらう時には、精神疾患の病名がついている。

それも、うつ状態ではないけれど、「うつ」と書かれていたり、統合失調症ぎみの「うつ」だったり、制度が何年も症状が改善されないと、使えなくなるので、それも、理解している。

手帳の発行までできるくらいだったら私は精神の手帳が欲しいとずっと思っている。

けれど、社会に適応できる力も持っているので、そこには手が届かない。



多分母は統合失調かうつで、十分な治療も受けないで生きていたと思う。

精神疾患じゃない人がもし、精神科受診が義務付けられたら病名のつく人も増えると思う。



だいぶ、緩和されたけれど、私が在る言葉を聴いて体調が悪くなる言葉がいくつかある。
ことばだけじゃない、動作、行為も。

言葉でいうと「きちがい」「つんぼ」「おし」「めくら」「びっこ」など、これらはつい先ごろまで民法上に書かれていて、「民法11条撤廃運動が展開され差別用語として、使われなくなったし、障がいを持つ人、当事者達の運動の成果で、障害から障がいに変わった。

その運動たるや、本当に地道なものだ。

それでも、先日耳の聞こえない人が「つんぼ」と言われ、ケンカになりそうだったと聴いた。

きちがいは、私だけじゃなく自分のことを表現されていても、他人のことを表現されていても、とてもいやだ。

吐き気もするし、涙もいっぱい出てくる。

いちいち言わなくても。。。って思うのかもしれないけれど、「それって、差別用語ですよ」と言わないと気づかない、気づけない人がいるし、伝えることでその言葉を使うのをやめてくれるかもしれないと、私は思っている。


だから、こだわる。


どれだけの差別を受けて生きているか、どれだけの偏見を持たれているか、そう考えると、私は細かいと言われても、こだわり続けていく役割だと思う。


その気持ちを理解しててほしい人に、なかなか伝わらないし、逆に否定されている気持ちになることが多いというか、増えてきた感じがする。

感覚の違いはあって当然だけれど、「否定されるのはなしよ」で関わって行きたいけど、ずれるたびに疲れるから、どうなのかな。


こだわってきたからこそ、昨日のコンサートが実現するんだ。

だって、私はその世界のプロだから。



たくさんの人が読むもの、目に触れるもの、そこには私は言葉にこだわりたい。
間違った表記のままブログにもあげないように注意している。
名前ももし間違ったら謝る。すぐに・・・。



そして、私のために時間を割いて何かをしてくれたら、「ありがとう」って伝える。


それが人として、大切なことだと思う。

昨日のろう者の顔は本当に、素敵だった。

死ぬ前に音楽を知れて良かった、音楽と友達になれそうだと思ったと、言っていた。

そこにはろう者の諦めない努力、私のこだわり。
それがあって、実ったものだと思う。

もちろんいろんな人に理解されて。


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