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虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~

虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??

   
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  ちょっとしたきっかけで、ある事件に関わっている。
もちろん自分の娘も、まったく心配がないか?というと、危険な世の中だからゼロではない。

ただ、娘の時にはなかったことがいっぱいあって、今の子どもって大変だな・・・と。
それはなにかというと、自分の家に居場所がないこと。

特別、問題児でもない子が、家に帰りたくない。
携帯のメールとかサイトで、暇な人を探して、その日その日を過ごす場所を見つける。

それを「友達」っていう。

なんとも不思議な感覚だけれど、どこかで聞いたことがあるなぁ・・・と思ったら、水谷修さんの講演会だった。

中学3年生くらいで、外泊が何日も続く。
しかも、親は居場所を知らない。
なのに、「いつものことだ」と捜索願もださない。


私は、同じ中3のころは、親に見切りをつけて、「こんな親のせいで自分が不良だとレッテルを貼られるのはごめんだ」と思って、非行に走るのをやめた。

たぶん、その子らの親と同じで、何も気がついていなかったと思う。
・・・っていうか、暴力の嵐だったから、気がつかれないように行動していたと言うのが、事実。

私自身が親をあきらめ始めたのは、小5の時。
特別欲しくもない筆入れやら、便箋を万引きしていて、つかまった時の母の反応。
私の方など見向きもせず、弁解ばかりしていた。
「なに不自由なく育てているのに・・・」

そう、物には不自由していなかったけど・・・・。

お買い物は私のお仕事でした。
あなたは働いていたわけでもなかったのにどうして???

お使いのレベルじゃなくお仕事でした。

そして、会話もなく夜へ。
父が帰ってきたら、殴られると覚悟していた。

「俺に恥をかかせやがって」と言われるだろうと思っていた。
かたづを飲んで・・・。

けど、何も反応がなかった。

その一日を過ごした時に、私は期待もされないし、私の気持ちを誰もわかってもらえないのだ・・・と悟った。




 記憶が飛び飛びなので、はっきりしたことは覚えていないけれど。

当時母は、家から出たり、入ったりしていて、会話らしい会話をした記憶がない。
いたとしても、無表情で・・・。
ご飯を一緒に食べたかどうかもよくわからない。
魚は必ず鮭かホッケ。


小さいころは誕生会もあったけれど、「kasumiちゃんのお母さんって料理が下手だね」って言われてからは、開かなくなったし、呼ばれても行かないようになった。

いつも家に帰ると不機嫌だったし、それでも買い物に行って来るとほんの少しだけ機嫌がよくなる。

特別親の気を引こうかとか考えていたわけじゃないけれど、誰かに気がついて欲しかったのかな。


けど。
何も変わらない・・・・。

そう思った。
自分の背丈より大きい自転車で買い物に毎日行き、家に居場所はなかった。

田舎だからどこかに出かけるといっても、しれている。
私の時代と違って、今は携帯電話でメールやら電話ができて、その料金は親が払っている。
携帯代が高いといいながら、支払いをしている。

誰かを求めてさまよい続ける。
それを私はとても怖いことだと感じている。
断るすべをもたない。
寂しいからだ。


道をたずねられたら、車に乗って道案内。
これは高校生のころだったな。
しばらく車に乗せられた後、もとのところにおろされたり、置き去りにされたりしたようにも思う。


そこで「レイプ」があったかどうか記憶がない。
けれど数人の男の人がいたので、あったかもしれない。

19歳のころ「男なんてみんなそんなもの」と実習先の指導員から襲われかけた時に放った言葉。

自分の感覚では、性行為は父親だけだと思っていたけれど、もしかしたら違うのかもしれないと最近思い始めた。
私自身が覚えていないだけで、優しくしてくれる人にはもしかしたら、ホイホイ着いて行ってしまっていたのかも知れない。

高校時代は、大好きだった音楽の先生にも、セクハラされた。

気がついたらホテルだった。高文連のコンクールを聞きに行って、自分自身は何しにいったのかわからない記憶がある。
その後、音楽の先生の職員室に呼ばれて、抱きつかれた。その時は、記憶の中で汽車通していたので、友達の前で泣いた。
何も話せずただ泣いた。

そして、いつものごとく「kasumiらしくないよ」と言われて、「kasumiらしいってなに?」と思った。
私は・・・


親も先生も信じられなかった。

とりあえず、保育士になりたかったから、学校には行こう。
そう思っていた。
お付き合いと言うほどの関係ではないけれど、手紙のやり取りをしていた先輩からは、「友達と笑っているkasumiがいいよ」と言われたので、死んでしまいたいというのはやめた。

いつもいつも、「誰もいない海」をピアノで弾いて歌っていた。

つらくてもつらくても死にはしないと・・・って。

そうなんだね。つらかったんだ。そのころ。

誰にも言えない秘密をもつことってつらいことなんだね。

だから。

家に居たくない気持ちは十分わかるよ。

けどね。
危険だよってすごく思うし、自分を大切にして欲しいってすごく思う。
でも・・・。

大切にされた経験がないと、自分を大切にできないっていうのも、すごくわかるよ。
でも。

大切にして欲しいよ、あなたの人生なんだから。

どうやったら、あなたたちに伝わるだろうか?
いつもいつもそう思っている。








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