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虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~

虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??

   

カテゴリー「kasumiの日記」の記事一覧

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ここのところ、サワサワしていて、オーバーワークと言われつつ、本人は「そうでもない」と思っていて、けど、疲れたなって感じはあって・・・。

昨日今日と、手話の関係の研修で役割があったので、そこへ。

そして、打ち合わせ。

個人的には、「苦手だと思う人をなぜこんな気持ちになってまで受け入れようと頑張るんだろう?」と自分でも謎??と思いつつもやっとしていました。

その気持ちを共感してくれる人っていたっけ??と、タダトモへ電話しつつ、毎朝毎朝すっきりしないというか、目が覚めたら思いだす・・・・その気持ち。

嫌だなぁ…と思いながら、なんでそうなるんだろうか?どうしてスルー出来ないんだろうと、考え込む。

一番分かってほしい人に分かってもらえないようなそんな気持ちで、過ごしていました。

私は手話通訳者として、「いったい何人の聴こえない人が来るのか?」「たった一人のために、なぜそんなに人数が必要なのか?」とか、目立たない隅っこでやってくれ・・・そんな心ない人と、戦ってきました。

ただ心ないと非難しても始まらないので、「知らないのだから、そう思うんだろう」と気持ちを切り替え、その作業を見てもらったら分かると思いますとか、一人であっても100人であっても、手話通訳の仕事は変わらないので、時間によっては、複数の人数が必要なんですとか。

なぜボランティアじゃないのか?という問いに「手話で話せることと、通訳できることは別なんです」と英語の通訳をたとえて説明してきました。

それから、30年もたつと、ろう者がいてもいなくても手話通訳がつくという講演会が今は当たり前のようにあります。

それと、ろう者がいないとわかっているところでも、通訳をしてきました。それは、「手話が出来ます」という自己満足の世界ではなく、「ろう者が社会に存在しているのですよ」とアプローチをするためでした。
ろう者がいるという事は視力や車いすの人がいることにも気づきがあるだろうと思っていたからです。

ろう者が存在しなければ、手話はこの世に残っていないでしょう。

手話は家庭から発生しているものではなく、学校という集団、つまり二人以上のろう者が出会った時に発生してきました。記録の上では京都の盲唖院、明治11年が始まりです。

ろう者は、家族の間でも孤独だったし、社会の中でも孤独だった。

けれどもその学校でさえも、戦後文部省の通達で、禁止され「口話教育」に移行され、手話を使うと叩かれる、廊下に立たされるそんな想いをしてきています。その禁止された期間は半世紀にも及びます。

聴こえないからと、音楽、英語の授業を受けていない年配の方はたくさんいます。

禁止されながらも、手話は生き残り、そして社会的に認知されて来ました。

けれども、悲しいことに、手話ブームに翻弄もされます。
清く、貧しく美しくのテレビだったり、酒井法子の蒼いうさぎ、オレンジディズだったり・・・・。

一瞬で手話が格好いいとか、覚えたいと人が群がります。でも一瞬でその波は引いて行きます。

私がミュージックサインを考えたり、手話通訳士であることを表に出しながら活動しているのは、「そこにろう者ありき」だからです。

映画を楽しみたい。字幕だけじゃなく音楽があると知って、今は癒しになる。
実は桑田けいすけが大好きなんだ。
俺は坂本九ちゃん。

ピンクレディ。

そう私に伝えてくるろう者がいます。

なので、私の中には、つねに「ろう者いてこそのミュージックサインわたげ」だと、思っているのです。
ろう者がいなければ、私はとっくに手話の世界から、消えているだろうし、手話通訳者にもならなかったと思う。

手話通訳者として育ててくれたのはろう者で、私が自分の力だけで通訳者になったわけではないからです。

だから、ミュージックサインもろう者がそこに居ることを忘れてはならないのだと思うし、自己満足の世界で終わってはいけないと思うのです。

格好いい・・・か。
そんなことはないし、結構勇気が必要です。

音楽を聴いて、瞬時にその伝わってきた心の振動を体で表現すること。
単に言葉の置き換えではなく、意味を伝えることを考える。

伝わってきた音楽、映画の音を「伝えたい」という気持ちで表現する。

手話をつければおしまいという世界で生きていきたいわけではないのです。

この活動がゆっくりでいいから、広がって、地域の人がまわりにろう者がいてあたりまえ、情報提供するのが自然になるこれが私の根本です。

ミュージックサインを付けることで、相乗効果はたくさんありますが、基本は「ろう者のために作りだしたもの」これを忘れてはいけない。

これがなくなると、手話歌、手話コーラスと変わらないものになってしまうし、ブームで終わってしまうと私は思っています。

虐待もそうですが、昔からありました。
現に私が50才だから、すくなくとも50年前もあったのです。
けれども気づいてもらう事が出来なかった。
だからといって、なかったというわけではありません。

ろう者も同様に、気づかなかった。私自身も知的障がい者の施設に勤めていたころ、書けばいいだろう、うごけるのだから・・・と障がいを比較して考えていたことがあります。
でも・・・・。ちがうのです。
不便さを気づいてもらえない、自由に語れない・・・・。同じ日本の国にいて、自由に発言ができない。

情報提供が必要だという事に気づかなかった。

だからといって、ろう者がいなかったと言う事にはなりません。

わたげの活動も、いろんな人の目に触れるようになって、聴こえる人にも何かしらメッセージが届いている様に思います。

でも、でも、聴こえる人に必ずしも、必要なものではないし、聴こえない人へのプレゼントとして、わたげはあるのだと私は思っています。
聴こえない人だけのものではないけれど、聴こえない人がいたからこそ、誕生した。聴こえない人に伝えたいからこそ、頑張ってきた。
それが「わたげ」になって飛んでいった。

そんな想いも一緒に伝えられたらと、私は思っています。

手話が独り歩きしたように、ミュージックサインも独り歩きするかもしれない。

でも、忘れないでいたいのは、「ろう者ありき」。
これは手話にもわたげにも言えることだと、私は、考えます。

そして、なぜ25年以上もかけて、考えてきたか?

新しいもの、目立つものは必ず打たれます。

私の場合「出すぎる杭は打たれなくなってきた」と思っていますが、それでもなにもしていないのに、バッシングはつらいし、痛いです。

だから、ゆっくりじっくり行きたいのです。

気が付いたら、社会が自然に受け入れてくれるようになっていた位の速度で十分しあわせです。(笑)




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防衛医科大学校 防衛医学研修センター 行動科学研究部門

教授 高橋 祥友

自殺が起きた時の対応の原則

1関係者の反応が把握できる人数で集まる。
全校集会的なものはもってのほか。先生一人に対して生徒2~3人程度がよい

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にほんブログ村 2事実を中立的な立場で伝える

3率直な感情を表現する機会を与える

4知人の時差圧を経験した人のン起こりうる症状を伝える


教師が知っておきたい子どもの自殺予防
2009年3月 文部科学省の報告によると

自殺の実態として、「こころのびょうき」はだれでにかかる。
sosはなにか?
子どもたちだけで解決しようとする環境をどう変えるか。(信頼できる大人にどうなっていくか?)


「とても気になっているんだけれど、どう?」いう声をかけられるかどうか?

自殺予防10カ条

1うつを放置せず対処する

2身体の不調を正しく理解する

3酒量が増えていないか?(アルコール依存)

4安全や健康が保てない、いつもならしないような行動になるなど

5仕事の負担が急に増える

6職場や家庭でサポートがえられない

7本人にとって価値のあるものを失う

8重症の身体の病気にかかる

9自殺をほのめかす

10自殺未遂におよぶ

OD(オーバードーズ) リストカット などはしっかりケアする
自傷行為、自殺祈念などの対処

「自殺する」と打ち明けられたらどう対応する?

よく話してくれたね、私に話してくれてありがとう。を伝える。

<残された人に必要なこと>

3つのT
TIME (時間) TALK(話す)  TEAR(涙)

思いだすことは大切な供養になる

眠れない時の対応として。。。

日本は酒に頼る人が多い
アルコール依存症  220万人

平均寿命(52歳)

意志の問題ではなく

1)コントロール出来ない
2)職場、家庭に迷惑をかけたことがある
3)酒が切れた時に、手指の振るえ、発汗、吐き気、イライラ、不眠などがある

不眠が2週間続く時は「うつ?」を考えること

その中で

1)絶望を伴う孤立感
2)無価値感
3)極度の怒り
4)窮状が永遠に続くという確信
5)心理的、視野狭窄
6)諦め
7)全能の幼想、脱出したい、楽になりたい)

このような時に、だれか信頼できる人に話をする。






アルコールが飲めなかったから、よかったのかな。(笑)全部思い当たることばっかり。

でも死ねなかった。(笑)









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島たろうの人脈で老人大学の講師をしてきた。

大人を相手に指導するのは久しぶり。


90分で一度きりなので出来ることは限られて来る。

けどうまくなったわ私(笑)


伝えたいことをコンパクトにストンと笑顔で話せる自分を発見。

転んでもただでは起きないって感じる。

昨日の夜なみちゃんが練習に寄ってくれて久々に三人で演奏した。


やっぱり楽しいよね。

走らないようにと二人が来る前に結構な時間を割いて頑張ったかいがあって「走るかな?と思ったら踏み止まってすごいんでしょ」と改善策を評価してもらちゃった。(^^)v

ねぇ、なみちゃんが来るとタッカの歌が変わるんだよ。

その違い知りたいでしょう?

一年前と全く違うんだよ(笑)

私も一年後に誰かに言われたぃから頑張ろうっと(笑)


自分へのご褒美は自分の努力と褒めてもらった言葉をストンと自分の中にいれること。 ブログランキング・にほんブログ村へ

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 さっきりぼんのブログをみたら、今年の1月30日の演奏が貼ってあって、そうだねぇ・・・これがkasumiさんのピアノデビューでした・・・・って、ずいぶん昔のことのように思っていたのだけれど、また8か月前なんだわね。

今のkasumiさんの課題はテンポで、後半気がゆるむと走ってしまうので、同じテンポで弾けることが出来るようになってね・・・・って感じです。

頭の中でカウントしても、足でカウントしてても早くなるのでもっかメトロノームとの戦いなんです。

子どもの頃は、テキストがあって、できないところには丸印や赤ペンが入って、小節ごとに真っ黒になるまで先生が出来るようになるための練習方法を教えてくれてた。

けど、あまり記憶にないのと、教本はすべてピアノを処分する時に捨てたのでないっし。

自分としては、あんなに弱いタッチでしか弾けなかったのに、今はけっこう指の力がついてきたことと、オクターブを外さなくなってきたことと、練習の時はガンガン間違ってもいいんだって分かったことだけでも、すごい進歩だと思う。

今弾けるのはすべてだれかのオリジナルなので五線譜にはなっていなくて、歌詞カードの上にコードが書いてあって、私にしかわからない暗号のようなものが書いてある。
→だったり(同じ鍵盤で移動とか)、↓たっだり(上から下がってくるとか)↑(上に移動とか)、あと和音(BDF#)とか。解明するとシと、レとファの#  って意味だったり。


楽譜かけるんだけど、書いてしまうとそれにこだわってしまうので、しばらく挑戦していたけど、あまり意味がないって思って今は書いていません。っつか・・・日々変わっていくので感覚で弾くしかない・・・。

だけど、一応編曲する(まだ稚拙ですが)能力はあるというか、自分が弾きやすくしてるだけかもしれないけど、弾き始めたころよりは、いろんなバージョンで弾けるようになったというか、なっていると思う。

先日、久しぶりにタッカと練習した時に、まーさんが「かあちゃん、ピアノうまいね」って「いつのまにそうなったの?」と聞かれて「??」。

その日はこの暑さもあったし、しばらく外に出るとばててしまうのでピアノにも触れてなくて、私自身も久しぶり・・・・ってピアノにスリスリしてて、それ以前に練習してつけてた伴奏を覚えているんだろうか?と思いながら、1時間くらい確認作業をしながら練習してて、そこにタッカ登場だった。


いつものことだけど、ピアノの位置もあって、ギターも歌っている姿も私には見えないし、気配や息をするタイミングとか、空気の動きを頼りに合わせるので、ずれるのは声を聞いてから自分が動くからなのかな??とか・・・・・。


正直よくわかんない~~~~。(笑)


で・・・・・昨日まーさんに聞いた。
「うまくなったって、なんで思ったの?」と。

すると、その日は、まーさんとタッカはお互いあれ?と思って目を見合わせた。そしてまーさんは、「うまくなったって思ったけどいうとかあちゃんは図にのるから絶対言わない」って思ったんだけどつい口にしたら、タッカも「うまくなったよ」と言う事になってしまったんだとのことでした。

たしかに豚もおだてりゃ、樹に登る性格です。はい・・・・。


だから…走っちゃうわけですね。(笑)


多分、最近朝きちんと目が覚めることとか、認知療法とか、夫とnichieの和解とか、枷が取れてきたことも良い方向に向いているのと、山のてっぺんが見えてきた感じとか、呼吸が楽になってきてるとか、いろいろな変化に伴って自由になれているんだろうなぁ・・・とか。




先日も、病院内でどなっている人に遭遇して、パニックになりそうな自分に、「ここ病院だから、薬とか注射してもらったりとか出来るよ」って「我慢しなくていいよ」って誰かがmichieさんに伝えて、Drに伝えてもらって結果注射したとか、楽になれる方を選ぶことが出来るとか、気持ちを解放できるようにもっていけるかな・・・・って。




主人格が選択肢を選べるっていうのも、とてもすごいことなので、日進月歩かな。(笑)

たしかに、あの演奏より、今の方がうまいよ。えへん・・・ってちがうか。(笑)






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