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虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~

虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??

   

カテゴリー「kasumiの日記」の記事一覧

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 未来なんて今の自分にはっきりと見えていたら、つまんないだろう。

未来がみえちゃったら、きっと別の道を選びたくなるに決まっている。

苦しくてたまらないそんな時でも、楽になった自分が見えてたら、その道になんて行かないだろう。

そんなつまらない人生なんて、歩まないだろう。

私はあまのじゃくだから、示された道を選ばない。

自分の感覚、人との出逢い、支えて、支えられて、そんな人生を好む。

迷っても、泣いて叫んでも、今なら助けてくれる人が絶対いると信じられる。


話を聞いてよ!!って言えば、聞いてくれる人がいることを知っている。

だれから教わった訳でものでもなく、匂いで、感覚で身につけてきた技。術。

手探りで、真っ暗な道を歩いてきたんだから、だれにもわからない道をここまで。

自分が選ぶ道。

そこには、失敗の嵐があったとしても、自分で決めたこと、結果も引き受けて、それも糧にして進むんだよ。

私の体、大切な体だったってわかった。

よく頑張ったねって思う。

私の心、大切な心だって知った。
壊れながらも、良く頑張ったねって思う。


私は、どんなことも、泣いても叫んでも、浄化して少しでも素敵な経験にして、伝えてきた。

大丈夫だよって。

生きてていいんだよ。


生きていてくれてありがとう。

努力なんてできない、疲れたよって思ったりもするけれど、それでも諦めないよ。

虐待なくなってほしい。
PTSDも、人格交代も。

偏見も差別も。

目標は大きいんだ。

私が死んじゃった後でも、いいの。

社会が変わってくれていたら・・・・。

そう思う。

だから、小さいことでも悩むけど、顔をあげたら、見えるものは一つ。

生きてて。

出会おうね。ただそれだけ。









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 なんでこんなにも、気になるのかな・・・・とコケ子の記事を読んでいた。
昨夜、「コケ子の記事あげたよ」と、知らされすぐ読んだ。

そしたら、また大粒涙がポロポロ。

ポロポロの理由。

コケ子は私。

家庭という箱の中で傷ついて「SOS」を私なりに出していた。

でもだれからも助けられず、さらに大人になってからも性暴力にあう。
自分自身も「しょせん男なんてみんな同じ」と、手を出して来た実習先の指導員を驚かせたことがある。

コケ子は、数年前に我が家にきた里子さんのR。
5歳にして、私と似ていた。
何食べる?って聴いても、「どうせ作ってもらえない」と答え、「作りたいから聞いてるんだよ」

何が好き?

「お味噌汁」!」という答えに唖然とした。

しかも、そのお味噌汁は「インスタント」を意味していたが、「かぁか、お味噌汁作れてすごい。私もかぁかみたいにご飯作れる人になる?」と言っていた。

抱っこしても、「重たいからいいよ」って何秒も抱かれていない。

「重くなったらいうから、おいで」っていうと、申し訳なさそうに、膝にのる。

たしかに、5年生の娘と同じくらいの体重だったら、5歳児と考えると重たいのは事実。


娘にしたように、毎日本を読み、添い寝をし、抱きしめて過ごした。
彼女も夜寝るのが怖いと感じている子どもだった。
姉妹の妹も同様で、音がするとガバっと起き安全確認をしてまた寝る。


コケ子は、娘のまー。
大人からのいじめに耐え、それを親に言えず。
うつの私をかばい、里子と楽しく暮らし、でも、その里子を救えなかったと悔やみ・・・。

中学では、言葉で傷つき、自分自身だけじゃなく友人まで傷つけられる。
先生も病んでいる。

大人は信じられない。

でも娘は、いろんな人との出逢いの中で自分の意思で学校に通う選択肢を持った。


タッカが、最近鶏の「助けて」と「ネズミがでた~~」という鶏語がわかるんだって言っていた。

ネズミは餌のおこぼれをもらいに来るらしい。
ひよこ時代には「天敵」。
大きくなったら、立場は逆転するらしいけれど・・・・。




子ども時代の私が、もし誰かに助けてもらったとして、その家に帰りなさいと言われたら、「NO!」だったと思う。
出来れば里親家庭で、家族関係を修復できる(人間関係)術を躾けて社会に出してもらえたらうれしいと思う。

もし、Rだったら・・・。

我が家にいた時のことが、どこかに響いて、叩く、殴るはやめて!って言えていたらいいなと、願う。
怖い家庭に戻されたRの中の、「私は大切の人です」の灯が消えないでいてほしい。

もし、娘だったら、帰る家はここ、かあちゃんは、どんな時でもまーを応援する。だから安心して、行ってらっしゃい。

そう自分の人生の出来事に投影していたんだろうと、涙が出てきたことと、一緒に気がついた。

タッカ、助けてくれてありがとう。


小さき者、弱いものは受け入れるしかない。
その現実と、環境を。

その中で生きていくしかない。
そんなコケ子の気持ちがなんとなくわかる気がして、今朝もコケ子の目覚めはどうだったんだろう?と目が覚めた。







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本日TBSで放映 JIM-NETの活動


 2月11日 (2日前) 皆様、ギャラリー日比谷での展示が無事に終了。6日間の売り上げが150万円にな りました。このうち支援にまわせるお金は、70万円くらいかなと思っています。 ありがとうございました!、

●本日のTBS NスタでJIM-NETの事が紹介されます。▽チョコで子ども達を救え 亡き少女の思い。 サブリーンの現地での映像なども紹介される予定です。 17:00-19:00の間です。 ただニュースなので、スケジュールが変更することもあります。

●本日、イラク戦争の検証を考えるシンポジュームあり。 http://blog.livedoor.jp/jim_net/archives/52095130.html

●明日は、現在展示中の高田馬場大都会で三浦社長とトークセッション 大都会に1:30にお越しください。 雪でこれないかたはユーストリーム配信するよてい。 JIM-NET(日本イラク医療支援ネットワーク) 事務局長:佐藤真紀 チョコ募金始まりました! 〒171-0033 東京都豊島区高田 3-10-24 第二大島ビル303 JIM-NET 電話&ファク ス 03-6228-0746 携帯 090-54122977 www.jim-net.net
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コケ子さま、本日はどう目覚められましたか?という夢で目が覚めた。

我が子ならば、そんな危険な(命)場所に行く必要はないと、登校拒否を勧めるだろう。

しかし、そこは鶏舎。

全くの自然ではないけれど、そこは動物の世界。


野生ではないけれど、ゲージでもない。
ゲージならば、自分だけの世界。
そして、いつもまにか「あら、おとなりさん新人ね」なんて事にもなるのかな。



人間ならば、外傷の他に心のケアは?となるかな。

だけど、コケ子も、傷ついた鶏をつっついたりして生き延びてきたのだろうから、自分のことはわかっているのかな。


どうなるの?

そして上田社長やタッカはどう判断するの?
そんな事を気にしながら寝たので、「コケ子さま・・・」ってなったんだろう。

コケ子はどうしたいの?
そんな事を尋ねても答えちゃくれない。

よね・・・。

というより、人間がわからないよね。

コケ子は何年目の鶏さんなのかな。

傷が癒えて、戻れるのが正解?
戻らないのが正解?
そんなのは関係なしに、戻される?
戻さない?
戻りたい?

どれも正解なんてないのかな。

鳥インフルエンザ、狂牛病とか、人の都合で殺処分されていく家畜。

伝染させないようにってことだとは思うけれど、牛舎の人は泣いていた。
損害の大きさもあるだろうけれど、自分の人生の中に飼育することを混ぜ込んだ人たちが、政府の判断で殺すことになる。

その心中は穏やかではないと思ってニュースをみる。


いつだったか、講演会で虫や動物は、農薬を使えば使うほど、さらに強くなって生まれてくる。
ハエも昔はぜいぜい、4階くらいまでで死んでいたが、今は高層ビルがあるから十何階までは生き延びる。

その自然の仕組みを壊しているのは人間なのだと、聴いたことがある。


人間も宇宙に飛び立って、40年近くなる。

それで何が出来るようになったのかは、わからない。(笑)

でも共生してきた自然界の友人たちは、苦しいのかもしれない。
地球の仕組みをどんどん壊す、私達だから。


だれしも健康でありたい。
動物だってそうだろう。

1/4の奇跡

コケ子は私達に何を気づかせてくれるんだろう。
何を教えてくれるんだろう。

何を学ぶのだろう。


命・・・・・。

私は今まで食べのものに感謝することをしていなかった。
食事というより、「餌」だと思っていたから。

ないよりまし、あれば食べる、なくてもいい。
それがわたしの食事の概念だった。

そして肩が痛くなり、作ることがさらにおっくうだった。だから、目の前にあるパンだけ、お菓子、果物だけで空腹をみたした。台所が寒いというのも要因ではある。

餌だ。

私には、食事を作るのに必死になったり、それに疲れて何もできなくなったり波がある。

娘は自分で作ったり、それを一緒に食べたりしていた。
でも疲れたんだろう。
「かあちゃんの作ったものが食べたい」という合図を出して来た。

調理時間が倍かかる。皮をむく、刻む。炒める。そのたびに痛いからだ。


そして悪玉くんの結果を見て、やっぱりな・・・(笑)

頑張ろうぜ。


コケ子も頑張って。

先はみえないけど。。。

コケ子の涙にも虹はかかるのだろうか?















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おそらくpianoを弾きながら自分で歌う事を始めたのはこの曲が初めて。今調べたらこの歌は、私が15歳の時に作られていた。
楽譜をみて・・・はだ。

それまでは誰もいない海とか、なんだろ・・・コードをみて弾いてたのかな。
メロディがわかれば、伴奏はなんとなく作ってたのか・・・。
あ・・・・guitarのコードと音か。

そうそう、和音の仕組みはわかるから、ABCDEFGはわかって、メジャーコードなのか、マイナーなのかセブンスなのかくらいは、耳でわかっていたのかもしれない。

高校の音楽の授業の試験は調音で、和音を聴き分けられれば、その時間はおわりってことがあって、友人と二人で中庭で遊んでた事があった。(笑)
噴水があって、なかなかいい場所だった。


それまでは友人の伴奏や部活での伴奏、コンクールの伴奏が主だった。
でも人の前で歌うのは、大人になってから。

いやちがう、高校の学校祭でのど自慢にでたっけか・・・。

合唱部の先輩が「カトンボらしくないよ。緊張したの?」って言われたっけね。


ピアノの位置が、実母との時間の多い家の方だから小学校高学年か中学2年くらいまでの間かな。

苫小牧にあるヤマハは結構通った。お店は駅の近くで、レッスンは別なビル。近かったけど。

高校ではそのヤマハの先生だったし。

なんでユーミンの楽譜持っていたんだろうね。
記憶違いかな。

私が10歳の頃ってユーミンいたのかな?(デビューしてました)

高校は合唱部だったから、卒業式はもっぱら「卒業写真」で先輩たちを見送った。

中高時代の記憶は本当につながらない。

生徒会の議長をやってたり、怖い先輩に因縁つけられたり(笑)

記憶にないことでいろいろトラブルが起こり始めたのは高校が頻繁だった。
すごく親しかった人が次の日には、私を無視したり・・・。

たぶん記憶には無いけど、私が何かをしでかしてたんだろう。

高校の先生からのセクハラも。

いまでもその感触は私の肌にくっついてる。
その日列車の中で大泣きした。
もちろん、同じ車両の友人たち、先輩達、後輩たちは、びっくり仰天。

どうしたの?って聞かれても説明できず、ただ泣いていた。

その時、「ミッチらしくないよ」って言われたのを機に友人たちにも、本当のことは知られてはいけないんだな・・・って。

このころからかな。
一言に反応するようになったのは・・・・。
わたしらしくってなに?
わたしって誰?
そんな疑問はいつもついて回っていた。




どっちにしても、「死」って言葉が入ってるから死にたかったんだよ。 このころは、剃刀の刃はいつもカバンに入っていた。 横に切ったり、縦に切ったり、公園で一人で過ごしていた。 血が流れると、暖かいって思うんだよ。 そして痛みで我に帰るんだ。 それが生きてる証拠だったんだよね。死にたい私と、死ぬのはあほらしいと思う私の葛藤だったのかな。 2番目と、主人格の戦いだったのかな。主人格以外はテキパキ派。(笑)

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