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虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~

虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??

   

カテゴリー「性虐待を生き延びて 混乱するのは私だけではない」の記事一覧

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 ●沈黙は破らなければならないが・・・・
運動の中で、なによりも重要なことは、被害者が自ら発言を始めたことでした。沈黙は破らなければならない。しかし、一方では私は自分のしたことに被害を受けたことをすぐに公表することは薦めていません。是非やっていただきたいと思うのは、信頼できる人を見つけてほしい、まずそこから始めてくださいという事です。そして、自分の目の前にどんな選択肢があるのかと見つけていっていただきたいのです。自分の範囲ができるのか、どのようなことができるのか、考え始めていただきたいのです。

ある人にとって、効果的な方法が他の人には全く役に立たないこともあります。ともあれ、何らかの方法でこの沈黙を破らない限り、虐待は世代を越えて受け継がれてしまうのです。


●ジェノグラム(世代図)-虐待の連鎖を断ち切る
ここで、ジェノグラム(世代図)というものを紹介します。ちょうど家系図のようなもので、さまざまな問題の根っこを探るために利用できる方法です。
たまたま私は性虐待のテーマで利用しています。

私の家族のジェノグラムもあります。少なくとも私が知っている家族の図なのです。後に分かったことなのですが、私の前夫も、女性によって性的虐待を受けていました。

息子もまた6歳から7歳の間、12歳のベビーシッタ―の女の子から性的虐待を受けていました。そしてその女の子も、自分の養父から性的虐待を受け、12歳になる前に中絶の手術を2回していました。女の子が16歳の時は、私は彼女を養子として、迎い入れました。その段階では彼女が私の息子したいしてやっていたことを知りませんでした、息子がどのような気持ちになったか、想像していただけると思います。


私の娘は結婚しました。そうしたところが、相手はやはり自分を殴る夫だったのです。小さな女の子をもうけました。娘がとても早く離婚をしたことは幸運なことだったと思います。それから再婚して二人の娘をもうけました。私たちは再婚相手の男性をとても慎重に調査しました。このような、私どものような家族に入ってくれる男性は勇敢な人だと思います。



 性的虐待は起こらなくてもよかった出来事なのです。沈黙することは加害者を守ることになるだけです、そして、残りの人々が虐待される結果になります。

このようなことがあるので、私が行うずべ手のワークショップの対tるには「沈黙を破る」というタイトルをつけています。性的虐待をやめさせたければ、まず沈黙を破る術を身につけなければなりません。




●沈黙を破ることはひどく困難なこと

これは是非強調したいことなのですが、沈黙を破ることは簡単なことではありません。魔法の杖はありません。このような手段やそれがうまく行くという方法もありません。これらを楽に対処できる魔法の年齢もありません。

私は13歳の時に事実を公表したので、経験からも知っています、そして19歳の時にも、22歳の時にも再び、三度カムアウトしました。適切なじきと言うのはなかったのです。ですから楽にカムアウトする時期や年齢と言うものはないのです。

それからこのことも強調したのですが、ある人が30年後にカムアウトしたとしても、その人が来場に困難な儒教になることに変わりありません。なぜなら、沈黙することで守っていたものをすべて失ってしまう結果になるからです。
ですから


 誰かがカムアウト出来ないとしてもその人を裁かないでください。その人が言っていることに耳を傾けて、サポートしてください。そして、言っていることを信じてください。その人に役立つどんな手段や情報があるか、それらをまず見つけられるように支えてほしいのです。




私がカムアウトしようときめたとき、それはけして楽な選択ではありませんでした。何十年も前のことです。当時、性的虐待を言うのは存在しないと思われていました。私はまずメディアを通じてカムアウトしたいと考えました。同じような経験をした成人の方々に手を差し伸べたいと思ったからです。

当時、私はこの仕事を始めたかったのです。1980年代にはこの問題に関する情報があまりにも不足していましたら。
私のような人間がまず仕事を始めなければいつまでも変わらないと思ったのです。






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 ●沈黙の叫び
これを説明するとこうなると思います。成人になったサバイバーの特徴は、自分が受けた虐待に直面することが出来ないということです。これを「沈黙の叫び」と私は呼んでいます。自分の中で大きな叫び声が発せられている、身体じゅうが叫び声になってしまうような状態です。

そして怒りに満ちあふれています。指の先まで震えてしまうような怒り。
ですから、いったんその叫び声を外に出してしまうと、叫ぶことを止めることが出来ないのではないかと恐ろしくなってしまうのです。そのために叫び声を常にコントロールしようとします。

私は若いころ、何度も麻薬や暴力沙汰を起こしたり、自殺未遂を繰り返したりしました。最後に自殺未遂を起こしたのは20年前、30代前半のころでした。そのころ、息子は12歳で、車の中で一緒に居ました。
幸運にも彼に怪我はありませんでしたが、私は脳しんとうを起こして4日間入院することになったのです。その時に私は、自分の人生を変えなければいけないという事を悟りました。

自分自身を殺すのは、殺したいのであれば構わない、でも自分の息子の命を奪う権利は私にはないと思ったからです。

同時に自分の行動に対して責任を負わなければならないと思い始めました。


今でも責任をもつことは好きではありません。が、かつての私は自分の人生で間違ったことをしたとき、虐待されたからこうなったのだと、被害者であることを口実にしていたのです。自分が性的な虐待を受けたという事実、そしてこのことに対して、自分は何もできなかったのだという事を認めねばなりませんでした。

もっとも受け入れるのが困難だったのは、自分の父親が加害者だったことです、そしていつまでも加害者であり続け、このことに対して私には何もできなかったという事です。
性的な加害者を治療する方法がないことを今は知っていますが、それを受け入れることはなかなかできませんでした。加害者の中には、治療可能な人たちもいますが、完全に治癒することはありません。


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 ●出産でつらい記憶がよみがえる
息子を生む時、私は看護師が自分の口をチェックしてくれるのをずっと待っていました。でも、実際には身体の別の部分をチェックされたので、恥ずかしくなりました。あまりにも恥ずかしかったので、何も質問が出来なかったのです。

分娩室に連れていかれ、「鏡をあてて、分娩しているところをみたいですか?」と聞かれました。冗談を言っているのかと思いました。本当に怖くなりました。「これは本当に素晴らしい経験なんだから」と言われました。でもそういったのは子どもを運が経験のない人だったのです。

性虐待を受けた多くの人は初めて妊娠をした時、あるいは初めて出産した時大変つらい思いをします。または、自分が虐待を受けた時と同じ年齢に自分の子どもが達した時、さまざまな意味で困難な状況に直面します。
記憶がよみがえってくるからです。それまで比較的ア安定した生活を送っていたとしても、その段階でバラバラになってしまいます。

息子を生んだ時、私は腕の中に抱きしめて彼を見ました。素晴らしい子育ての知識が沸き起こってくるのを待ちました。でも知識がわき起こってこなかったので、私は自分が悪い母親だからだと思いました。そしてたった一日前に生まれたむすこにでさえ、私が悪い母親だと知っているのかと思ってしまった。これかr私は彼にお乳をあげなければいけないのに、と思うと怖くなりました。こんなふうに、お乳をあげなければいけないとき、非常に怖くなる性的被害者はたくさんいます。


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 ●結婚しても新しい家庭をつくれない
この状況から抜け出すために、私は16才で結婚しました。非常ンに一般的は、ノーマルな家庭に入りました。私は怖くなりました。別に性的な意味ではなく親愛の情を込めてだきあうような、普通の家族でした。よくこういう事はないでしょうか。

例えば、ある人が話を途中でやめて何かをいおうとしているのかわかるような、そんなおしゃべりができ、お互いに分かりあっているので、あまり言わなくても分かるという関係です。結婚してそういう家庭の中に入って行ったわけです。

そのような家庭に適応していくのはたいへんでした。それは私のように性的虐待を受けたものが普通の家庭に入って行った場合、よくみられる事です。このような環境に住む価値がなちと思ってしまう。そして自分の中で無意識に、非常に良い対人関係、人間か陰茎を破壊してしまう、もしくは妨害してしまう傾向があります。

結婚によってノーマルな家庭に入ったにも関わらず、自分で何とか夫に暴力をふるわせようとしました。とても素敵な男性だったので、彼のもとを去ることはできないけれど、叩いてさえすれば、彼のもとを離れることが出来ると考えたのです。でも借りにこちらがおこらせたとしても、彼は叩いてはくれませんでした。去っていたのは、彼の方でした。
いったい全体死んでしまったのかと心配始めたころ、彼は戻ってきました。そして再び、私は怒りを爆発させてしまったのです。いつも私は何らかの理由を見つけて、彼に対して怒りをもとうとしました。

多くの被害者は、自分の人生の中で楽しいことは長続きしないだろうと考えます。
ですから、楽しくても、この状態に自分自身を慣らしたくないと思ってしまうのです。


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 ●元に戻ることはできなかった

この時まで私は思っていました。私は今まで加速が求めていることをすべてやってきた。だから普通の状態、以前と同じ状態に戻ることが出来るに違いないと。 しかし、実際にはまったく変わってしまいました。すべてが一変してしまった。事実を公表した後、家族が以前の状態に戻ることは出来なかったのです。

それからというもの、姉妹たちは私に対して起こっていました。
「あなたさえこんなことをしなければ、家に戻ることができるのに・・。」そのようにして、加速は私に怒りをむけていました。「自分のしたことを見てみろ」と言われました。「父の仕事にも影響を与えている。家族をバラバラにしてしまった。い線とは全てが変わってしまった」と。

それまでは私は成績が一番の子どもでしたが、その後はバンクーバーでいろいろな問題を起こしました。買い出をした時は「あばずれ」と言われました。家の中にいるときは「いつも無愛想な顔をしちる」といわれました。そこでいっそのこと、どんなに私が悪い子か見せてやろうと思い始めたのです。
それから13歳から15歳までの1年半というもの、学校にはかろうじて顔を出す程度でした。バンクーバーで売春をしました。2回監獄に入りました。最初は万引きでした。2度目は母親に通報されました。どんなことをしても校正出来ない「矯正不可能」と言う告発を受けました。
14歳の時に、再び妊娠しました。そのときバンクーたーの少年院に入れられた私は、独房に収容されました。全ての人権を奪われてしまうような場所です。毛布さえも与えられなかった。
ある晩、男性の慣習が来てひどく殴られました。それで流産し始めたのです。驚いた感巣がナイフで私を切りつけ黙っていろと脅したので、私は怖くて何も言えませんでした。私はそこに入所した時よりも、少しタフになって出てきました。

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