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虐待を生きて~kasumi&michieのキルティング人生と快復~

虐待の連鎖を切る手助けをしたい。。 これからは、一緒に歩いていこうね。 2010年私なりの終止符うちました。 新しい道はどんな道??

   

カテゴリー「快復編」の記事一覧

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かすみの想い 


誉められるということは、とても気持ちがいい。

力を入れなくても、自信が持てるということは、とても気持ちがいい。

生きていくための自信、それは力を入れなくてもいいことなんだと、わかったような気がする。

小さかった自分が悪いんじゃない。私は悪くないんだ。そう思えるまでには、とても長い時間がかかった。

「もっと努力をしていれば、何とかなっていたのかもしれない。」ずっとそう思っていた。時々10歳の子どもになる。

気持ちをもてあまして、自虐に走ることもある。


 しかし、後退とも思えるそのことさえ、ある精神科の先生に言わせれば「全て順調!」なのだそうだ。

森田ゆりさんとの出会いは、神さまが私にくれたご褒美だ。そして今の私も・・・・・。

ゆりさんは、先日「かすみさんは、もう大丈夫なんじゃない?」といった。

私としては、うつが治るまではゆりさんと、話しがしたい。

でも、私以上に苦しんでいる人もたくさんいる。

居心地の良い場所から離れるのには、ちょっと勇気がいる。

もう少ししたら、今苦しんでいる人に席を譲らなければ・・・・・と思っている私もここに居る。

そして、今度は私が席をつくっていこうと思うのだった。

                                                   kasumi

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その後・・・・・・
 
 ある日、夫は新しくできた自然公園に連れて行ってくれた。初めはいつものように

娘のために遊びにでかけるのだと思った。誘われても行きたくない時は、2人で行

ってもらう。3人で行こうというので、乗り気ではなかったがいくことにした。

娘と遊ぶには体力がいる。そのあと、学童のキャンプも控えていたのであまり疲れ

ることはしたくなかった。ただ、そこは仕事をしていた時に会議に出た場所でもあっ

たので、どんなふうに造られているのか興味もあった。


その日がオープンでアスレチックや変わった自転車、人がたくさんいても気になら

ないくらいの原っぱ。

一通り、遊んだ後で夫は、肩車をしてあげるという。

その時、私の気分転換でもあるがおねえちゃんのためにここに来たんだということ

に気づいた。いくら、痩せたと言っても10㌔以上回復してるので44㌔はある。

夫は、木につかまりながらそろそろと立ち上がった。そして、ふらふらしながら歩き

始める。

手のひらに話しかけるように、「おねえちゃんどんな気持ちかなあ?」といいなが

ら、歩く。まわりに大勢の人がいた。


けれど、私は人の目よりもそこから見える景色、自分がとても大きくなったような気

がして誇らしかった。ふと、目を下にやると娘がすねている。「ちょっとまってね。お

ねえちゃんのためだから・・・・・」と声をかけると仕方がないという顔をしている。

森田ゆりさんは、こんなふうにインナーチャイルドと家族で関わりをもってくれること

もめずらしいことで、「面白い家族よね。」という。次回の面接では、この公園のこと

を話そう。きっとこう言ってくれると思う。それは、「かすみさんが頑張ってきた成果

の一つよね。」って・・・・・



そのまた、その後(2005/4)

2004年の2月に心の治療は終った。

私はまだ不安だったけど、森田ゆりさんが大丈夫って言うのだから、大丈夫なのだ

ろうと結構安易だった。

その後、うつの薬も減り、いまでは不眠だけになった。

もともと不眠症だから、ここまで来たら完治だろうと思う。

私たち夫婦は、子どもに関わりたいと思うようになった。

そして、そのままで生きていていいんだよということ、私は大切な人と思ってもいい

んだよということ。

いろんな事を伝える人になりたいと、願った。


子どもの心をどうやって守っていくのかを考えて、実践していく人になりたいと思う。


娘はあい変わらず元気で、タフである。

時々、くっついてはエネルギーをもらう。

抱きしめあえるということはなににも代えがたい宝物。

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おねえちゃんに居心地を聞く(面接)

 夫が、次回のカウンセリングの時に、「おねえちゃんに居心地はどうかって聞いて

きて」という。それを前回の面接の時にゆりさんに伝えると、「じゃあきいてみよう

か?」と言った。ゆりさんは「だれがきくのがいちばんかなぁ・・・・」としばらく唸ってか

ら、「やっぱりkasumiさんが聞いたほうがいいかな。」といった。


いつもの呼吸から入り、「今どこに居ますか?」とゆりさんの声。

 原っぱが見える。草の上におねえちゃん、私、娘、夫の順に寝転がっている。

おねえちゃんがふざけて、私に向かって横に転がってくる。そして私もおねえちゃん

と一緒に娘のほうへ転がる。娘はキャーキャーいいながら、団子みたいになった私

たちの中に入りながら、夫のほうへゴロンゴロンと転がる。そんなことをしばらくしな

がら遊ぶ。そして本題に入る。ゆりさんが「kasumiさんのおうちの居心地はどうかっ

て聞きたいんだって・・・・kasumiさん、おねえちゃんに聞いてくれる?」

 私は、半分緊張しながら、聞いた。

「お家に来て、どう?」う~んと、笑いながら「ときどき怖いおじさんがいる。」と答え

た。

ゆりさんが、「そんなときはどうしてるのか聞いてみて?」と言うので聞いてみた。

答えは、「まあちゃんの後ろに隠れるの。まあちゃんは助けてくれるから。」

ゆりさんが、「助けてくれる人がいてよかったね。今までは一人だったもんね。」

夫は、「おねえちゃんに自分に何かしてもらいたいことがあったら教えて欲しい。」と

も言っていたのでそのことも聞いてみた。

「あのね、肩車と抱っことおんぶ、まあちゃんみたいに・・・・・」そういった。

「あと、おおきな木のところでゴロゴロしたい。」

ああ、そうだ。私には小さい頃そういう家族の団欒はなかったっけ・・・・・

あたりまえのことだけれど、10歳の私そのものなんだ・・・・・そう気づいたのはずい

ぶん後になってからだった。おねえちゃんに会うためにトランス状態になるために

は、結構神経を集中させる。


体力のない私は、ホテルに帰ると必ず寝てしまう。もちろんゆりさんはもっと、大変

だろうと思うのだ。自分のことでいっぱいいっぱいなのでそれに気がついたのは、

最近のことだ。

 
 2003年6月に森田ゆりさんが関わっている団体のイベントがあった。戦争のこと、

人権のこと、子どもの虐待のこと、いろんなことに関係している人がいた。
 
 その中でとても勇気のある人にであった。男性のサバイバー(性虐待の被害者)

で自助グループを作って頑張っているという報告だった。

おもわず、声をかけて話をした。

まるで、昔から知っているような感じで話ができた。

私も、元気になったらこんなふうに頑張りたい。そんな勇気をくれた。

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小さいおねえちゃんと自分(面接)

 私は、もともとはっきり自分の意見をすぐ口にだしてしまう。

そのことで、いやな思いをしている人もいると思うが、周りが思っているほど強くな

い。強かったら、うつにはならなかったかもしれない。

色々なことを後ろ向きに考えてしまう癖がある。

仕事に頑張れたのは、やはり自分の経験から回りに解ってもらいたい、理解しても

らいたいという気持ちがあったからこそである。

これからの自分がしたいこと、それはうつで苦しんでいる人に、私のような経験をし

た人に元気になってもらうことだ。


 何がどうできるかは、わからない。

まずは、自分自身が健康にならなくてはいけない。

ゆりさんと話をしている時に、「かすみさんって、お仕事の話をしてる時が一番楽し

そうね。道しるべは必要ないでしょう。自分のやりたいことがもう決まっているも

の・・・・。」といわれた。

家庭では、右手の手のひらに夫や娘が話しかける。そして今の私は、頼まれても

やりたくないことはしない。今まではイライラしながらしていたのだが、「なんでやら

ないの?」と聞かれたときに、「だって、やりたくなかったんだもん。」と、答える。

そんな時、あれ?と思うのである。

「今のは、私の返事なの?」すごく疑問である。夫は、今まで10歳からずっとごは

んしたくをしてきて、疲れちゃってるのかなぁ?と言う。

本当のところはわからない。

地元の主治医のアドバイスは、疲れないようにすること。気負わないこと。マイペー

スを守ること。

ゆっくりだけど、良くなっているから、あれこれ心配しないこと、という。


私はというと、ときどき人が入れ替わっているような感じがするのだ。しかも、記憶

はあるから多重人格とかではないと思う。そのことをゆりさんに伝えると、「それは

良いことよ」と言い切る。

小さいおねえちゃんが自分を出せているということらしい。

 

 

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森田ゆりさんへ   

 最近の私の状況ですが、5月の末に娘の運動会がありました。運動会

前日お弁当の準備や、いつもはしない場所取りなどを夫と一緒にして、家

に帰ってきたら、急に娘がうらやましくなり、ポロポロと大泣きをしてしまい

ました。 私の気持ちの中で『まあちゃんばっかり、ずるい。』という気持ち

が一瞬よぎっていました。こういう気持ちから、虐待がはじまるのかし

ら・・・と、少し自分が怖くなりました。 それより少し前に、妹が言語聴覚

士の試験に合格し、ある老健施設に就職が決まり、ホッとしていた頃、就

職にあたっての保証人の書類が、妹から送られてきました。我が家から、

父へその書類を送ってほしいと頼まれていました。夫から、その書類を父

に早く送るようにと、再三言われていたのですが、その気になれず、2日

ほど先送りをしていました。  そのうち、大事なものをなぜ早く、送らない

のかと夫に言われた時に、なにかがはじけ飛びました。「嫌いな親父の、

住所を調べるのも嫌だし、手紙を送るのも嫌なんだって何でわからない

の?」いつもの自分とは違う私が怒鳴っていました。夫は、それを見て、

小さいおねえちゃんが言っているように、見えたそうです。声のトーンや、

口調がいつもの私とまったく違っていたそうです。 大きな変化はこの二

つですが、ときどき人格が変わっているような気持ちになることが、けっこ

うあり、そういうときは、いつもとは、違う行動をしているようです。例え

は、外から帰ってきた時に、ジュースをたくさん飲んだり、沈み込んだり、

逆に元気だったり・・・・・。はしゃいでいるというほうが、当てはまるのかも

しれません。  仕事を辞めて1年が経ち、だんだんと外に出ることや人会

うことが、怖くなくなってきました。苦手な人には、まだ会うことに対して

は、エネルギーがたくさん必要ですが、昨年と比べるととても、前向きにな

ってきています。ときどき、自分の中で、小さいおねえちゃんに話し掛けた

り、相談したりしています。体力的には、まだまだ働けるような状況ではあ

りませんが、働きたいな・・・・という気持ちもでてきました。

落ち着いたら、自分の経験を文章にしてみたいとも、思っています。ただ、

まだまだ、自分自身に自信が持てません。壊してしまった、人間関係の修

復、自分らしく生きていくためには、どうしたら良いのか? 夫は、転勤を

理由に、この街を離れたほうがいいのではないか・・・といいます。私は、

転校した経験がないので、娘のことを考えたときに、せめて小学校の卒業

までは、ここに居たいと思ったり、いままで関わってきた障害者の人たち

のそばにいたいと思ったり、とても複雑です。職場を逃げるように辞めて

しまったことにも、罪悪感があったりもします。  これから、どう生きていっ

たらよいのか・・・・。どういう選択が、一番なのか・・・・・。とても、気持ちが

揺れています。ふとした時に、病気が治ったような気持ちになったり、逆に

落ち込んだり忙しいです。先生に、お願いしたいことは、道しるべをどう作

っていったらよいのかアドバイスがいただけたらと、思っています。

まとまりのない文章になってしまいましたが、よろしくお願いします

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